病院の後、私は夫に母が認知症と診断された事を話しました。
夫はその時すでに両親とも亡くしており、夫の母はガンが発覚してから1年も経たないうちに64才で亡くなりました。
認知症の事を涙ながらに話す私に、夫はこう言いました。
「死んだら終わりだから、やれる事はやってやれ。俺はお袋が死んだ後に、後悔するばかりだった。」
「お袋の様に、ガンであっという間に死んでしまうよりはいいと思う。」と。
この言葉を聞いて、私は「そうだ・・・悲しんでいるだけではダメなんだ・・・」と考える様になりました。
認知症と他の病気を比較するのは難しいけれど、とにかく、この夫の一言が私の大きな支えになったのは事実です。
ただ・・・その後、夫からはシビアな言葉が続いたのであります。苦笑
有難い言葉に感動する私に、夫は続けてこう言いました。
「”まだら”の時期はまだマシだぞ~」と・・・。
「まだら」とは何を意味しているのか?
夫が高校生の頃、祖母が認知症になり、田舎から引き取った時には症状がかなり進行していたようです。まだ痴呆とか老人ぼけと言われていた時代です。
夜中に徘徊をして警察のお世話になったり、家族は大変苦労したそうです。
家の離れが夫の勉強部屋になっており、いつも離れにいる夫は祖母から「お向かいさん」と言われていたようです。
「オレはお向かいさんだったなぁ~」と懐かしそうに笑ってました。
そんな夫は認知症の祖母を間近で見て来たので、症状が「まだら」に起きている時期はまだまだ有難いという事を言ったのです。
つまりは、ちゃんとしている時もあるからです。
経験者は語る、私にとってはシビアな一言でした。
母親の症状を現在まで観察し、やっと最近、この言葉の意味が理解できるようになりました。
「まだら」の時期はまだまだ本当に有難いのである!
私は母の認知症を親しい友人に話しました。誰かに聞いてもらわないと辛くて仕方がありませんでした。
一人は高校時代からの親友で、彼女はお母様をガンで亡くし、脳梗塞で倒れたお父様の介護を経験していました。
海外に住んでいる彼女は、私のメールを読むと電話を掛けて来てくれました。
そして「今が一番辛い時だと思う」と言いました。
この言葉がとてもとても温かく、優しい言葉でした。
人の心に寄り添った言葉がとても有難かったです。
別の友人は、居酒屋でビール片手に泣きながら話す私に付き合ってくれました。お酒をほとんど飲まない友人ですが、人前で泣く私を恥ずかしがることなく、「泣きたい時は泣いた方がいいから」と言って一緒に泣いてくれました。
旅先で私の話をゆっくり聞いてくれた友人もいました。
彼女とは、お互いの母親を連れて一緒に海外へ旅行した事もあり、母の事を良く知っている友人でした。母を知っているからこそ、話せる相手でした。
持つべきものは友です。みんなに感謝です!!
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